5月に九州を一人で旅していた際、柳川で立花氏ではない銅像を見かけ、誰かと思えば田中吉政公でした。

経歴
1548年近江に生まれ、豊臣秀吉に仕え北条氏滅亡後に関東に移った徳川家康に代わり岡崎5万石を治めます。関ケ原では石田三成を捕らえるという大功をあげ、筑後の国32万石を与えられます。柳川では用水路や街道の整備を行い、水路が特徴的な柳川の町ですがこの人物の功績によるところが大きいようです。

像の場所
柳川城三の丸戌亥門弥兵衛門跡のすぐ近くでした。柳川城と一緒に見るのがお勧めです。
岡崎にも像があるようなので、訪れた際には紹介したいです。

感想
ゲーム「信長の野望」では大抵の能力が50代とそこまで強くないイメージでしたが、関ケ原での実質的な総大将・石田三成を捕らえたのは大功であり、また豊臣家臣として治めていた岡崎も家康公の出身地で特別な場所ですので、実績としては特別な方でした。
柳川は西国無双・立花宗茂公のイメージが強く、実際立花藩主邸である御花は多くの観光客が訪れていますし、資料館には宗茂公の甲冑の本物が展示してあります。鰻のせいろ蒸しも美味しいので柳川はお勧めですが、川下りの船がインバウンドで激混みなのが唯一マイナスポイントでした。



さいごに
今回、戦国武将像の紹介1回目でしたが、改めてこの方の軌跡に触れたことで、人物を知ることが自分の志向と一致することを認識しました。しばらく記事の更新が滞っていましたが、実は今年5月で100名城を巡り終えており全国を旅する中で改めて戦国時代や武将が好きということが認識できたので、武将像の記事は今後も書いていく予定です。